日々の業務の中で、感じた事を書かせていただきます。
今回は、「完成品を求める川下」の話です。
まぁ、なんというか私が思う川上と川下の「温度差」みたいなものです。
木材の流通の変化 「完成品をもってこい」
最近感じる事の1つに、川上の時点で「完成品」を求められているという事です。ここでいう完成品とは、設置するだけ状態になった「製品」の事をいい、木材流通の川上は、伐採、製材あたりの事をいいます。
私の木材業界の仲間がSNSで木をステーキに例えてこんな投稿をされていました。
【お客】ステーキください
【お肉屋】焼いてない肉ならあるよ
【お客】焼いてほしいんですけど
【お肉屋】一応うちにコンロあるから焼けなくはないけど
【お客】お願いします
焼いて出す
【お客】あ、ミディアムレアでほんのり赤みがある程度に焼き直してください
【お肉屋】。。。これでどう?
【お客】ミディアムレアでほんのり赤みがある程度が良いです。あと、ここ一部火入れがあまいので、そこも焼き直せますか?
【お肉屋】焼き具合の希望が良く解らないので、ほかで焼いてもらってください
【お客】あれ、お皿とフォークとナイフはないんですか?
【お肉屋】うちで買わなくて良いのでステーキ屋さんへ行ってください ←今この気分。。。。
しかしながら、今の業界の流れ的に川上の人間である素材屋の時点で完成品を求められることが多くなってきました。
木材は、最終的には家具や内装材などの「製品」となって最終消費者に届きます。
そこにたどり着くまでには、木を植えて育てて伐採する人から始まり、
原木を売る人、
製材をする人、
問屋として在庫を持つ人、
小売りをする人、
最終的に家具屋さんや大工さんといった経路をたどります。
最終的に家具屋さんや大工さんなど木材を加工する人が「製品」にして最終消費者に提供するわけです。
今だと、山→製材→プレカット→ハウスメーカーのような流通経路が主流になっています。
昔からある流通経路だと、最終的に大工さんや職人さんが加工して完成品になっていました。
今の流れだと完成品が届いて、それを設置するだけというのが常識になりつつあるんですね。プレカットを一言で説明すると、機械で木材を加工しプラモデルのように組むだけ状態にする事をいいます。
なので、上のたとえのように我々のような素材屋に対しても「完成品をもってこい」という流れが今の常識になりつつあるのを感じます。
完成品なら、誰でも組める
プラモデルの組立が誰でもできるように、木材も完成品なら、誰でも組めるんです。
数年前に小屋作りのワークショップに参加させていただいたことがあるのですが、そこでは約2日で立派な小屋がたちました。
使った工具は「木づち」と「ハンマー」「インパクトドライバー」ぐらいでしょうか。
しっかりプレカットされている材料なら、素人の私でも家状の物を組み立てる事ができるんです。
「あぁ、誰でも家は組み立てられるんだな」ということを肌で体感したのです。
では、大工さんって単なる組み立て屋さんなのか?なんてことをふと思ったりしました。
木材の業者には得手不得手がある
お客さんが完成品を求めていることは分かるのですが、私たちにも出来る事と出来ない事があります。
木材の業者には得手不得手があるんです。
たとえば、私のいる木材市場は木材の流通を支えるのが役割であり、木材の加工は行っていません。当然木材の加工機はありません。なので、加工までは行っていません。
加工したとしても手持ちの手工具では加工の精度もたかが知れています。加工はちゃんとお金を払ってでも加工屋さんにお願いするのが一番いいんですよ。
出来るだけ川上で完成品が出来れば、それだけ加工の手間が減り、その分のコストも削減されます。
ですが「餅は餅屋」のように木材の業者には得手不得手があるんです。
コメントを残す