東京木材市場内浜問屋 新木場相原のブログです

自社の強みは自社の歴史、遺伝子にあり!

 

今、自社の歴史をひもといています。

 

 

かつて10軒以上あった東京木材市場の浜問屋は

マルト木材さんと新木場相原の2軒になってしまいました。

たとえ、世間がどんなに不況であっても

「材木問屋の最後の1軒になるんだ!」

という意気込みで業務にあたろうと決意しました。

 

 

 

材木屋さんの減少と買方さんの減少。それに伴う売上の減少。

「今はいいけど、このままだといずれ食べられなくなる!コレはなんとかしなければ!」

と考えた私は現状の打開策を練る為

江戸川区で主催している「えどがわ起業家ゼミナール」に参加しました。

 

 

自分のやりたい事、出来る事を起業プランにしたのですが、

二代目の仕事はそうじゃない!と

打開策は「自社の歴史、遺伝子、強みにこそある」

「過去にピンチに陥った時の打開策が必ずある!」

と先生に教わりました。

 

 

その言葉をきっかけに 

自社の歴史を調べてみる事にしたのです。

 

 

新木場相原は 

相原木材株式会社の廃業後、

様々な物を引き継ぎ私の父親が立ちあげた事業です。

今年で12年目になります。

 

 

相原木材株式会社は初代 相原甚七郎社長が

1907年に立ちあげた会社です。

その後、二代目の相原喜市社長、三代目の相原武司社長へと継がれてきました。

経営者が私の父親に変わって私はその二代目。

「相原」の屋号でいけば、107年目で私は5代目になるんですかね。

 

 

相原の事務所に、初代甚七郎社長の本が2冊残っていました。

本を書き残していたのは二代目の喜市社長です。

 

甚七郎社長はとても利他的な方で、「人の喜びは自分の喜び」という人物。

地元の徳島市の発展に多大な貢献をしたそうです。

その名残として「助任小学校相原甚七郎奨学基金」というものが存在します。

 

 

私の父親は三代目武司社長の下で働いていたので、

その時の事は直接話を聞く事ができました。

会社を廃業するまでの流れや、その原因等も・・・・

 

 

残された書物を読んでいて

相原という会社は「実践力」が強みだと感じました。

 

自分一人でも思った事はやり通す

信念に対して鬼のような性格

いかなる困難でも必ず乗り越す自己信頼

 

こわされても、こわされても、

失敗しても、失敗しても、

それを土台として生かして成功に通じさす。

 

初代社長から継がれてきた相原の想い。

私も大切にしていこうと思います。

 

 

自社の歴史をふりかえるのは、会社の想いや考えを見つめ直すいい機会だと思います。

何か資料があればふりかえってみるのも面白いかもしれませんよ!

 

 

ちなみに

甚七郎社長は、はるか昔

「将来の建築は、機会化作業に頼るプレハブになろう」と考え

昭和32年にはプレハブ工法の事業を始めています。

当時その事業は大成功の急成長!

徳島県ではパイオニアだったそうです。

 

先見の目があったんだなぁ~凄い人だ!

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